2024-06-04 振り返り
| 2024-06-04への引き継ぎ事項
1. 2024-06-04にやることを視界に入れる
2. 重複したタスクをずらす
↑2024-06-03に書く
↓2024-06-04に書く
check:
1. あさごはんを食べる
| 今日やったこと
考えるということがもうほとんどできなくなったようにまた思い始める
きっかけ
こういうのって典型的なパターンがあり、それに則って書けばいいはずなのだが……
ようはその町でわからないことがあれば、調べればいいだけの話である
2つある
調べる行為に一歩踏み出せていない
踏み出した後に、有益な情報を得られるビジョンが浮かばない。想像がつかない
なにか具体的なデータがでてこなかったように思う
cinii意外の方法載ってたっけな
何も考えずにできるからね
自分に何かを入力して、ラグなく出力されるものも「考える」ではない
例えばコードを見て別の書き方を思いついて直すとき
英文を見て、気に入らないところを直すとき
spreadsheetの作り方を見て、直したい箇所が出てくるとき
入力された情報に対して、思考を介さずに直接違和感が現れ、さらに修正方法も思考なしで瞬時に現れるような感覚 逆に、違和感をもてても修正方法がでてこない場合がもやもやかも 逆に、遅延なく脳死で行動できること以外は考えるという行為に近いと思っていそう
その状態でなにかを編み出すことは、考えるに近そうだ
何かの作業で「自分で考えて行動して」と言われたとき、たまたま過去に見知った方法で行動して乗り切るのは、自分で考えたとは言えないと思う
暫定結論:takker.iconは「自分にできる行動」は全て「考える」ではないとみなしている
とすると、以後は「考える」を「自分にできない」と言い換えればいいのかな?